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子どもの人権を侵害する校則と親の教育権

 最近日常的に、家庭内での虐待事件報道を目にするようになりました。親が子どもの成長過程における反抗を受け止めることは並大抵のことではありません。しかし反抗に暴力で対応することはしつけではないというコンセンサスが、この日本でも広がりつつあります。しつけを理由にした親から子どもへの暴力によって逮捕される事案が増えてきたのは、そういった社会的背景があるように感じます。

 

 親が自分の子どもの反抗ですら手を焼くのですから、教師が大勢の生徒を相手にしなければならない学校の状況が如何に過酷なものであるのかは誰の目からも明らかな筈です。そんな教師の過剰な負担を軽減するためにも、社会的規範を子どもにもわかりやすく咀嚼した校則を定めることは有意義なことだと思います。しかし社会的規範を逸脱した校則の存在は憂慮すべき問題です。

 

 日本には国民の髪型や服装を規制する法律はありませんが、校則はいまだに髪型や服装を規制します。服装の乱れは心の乱れなどといった科学的根拠のないいわゆる通俗道徳が、教育現場においてはいまだに信じられているのでしょうか。教師に認められる教育権には、教科教育におけるある程度の決定権が認められていますが、校則のような生活指導における排他的な決定権は認められていないはずです。

 

 【学校教育裁判と教育法 著者:市川須美子 発行:株式会社三省堂】でこのように指摘されています。

 

【教師の生活指導は、親の教育権および子どもの自己決定権をはじめとする人権の尊重を前提に行われるべき教師の決定権をともなわない教育活動であり、原則として強制力のない指導助言活動といえる。】

 

 親にとって子育てはやり直しがきかない一発勝負のようなものです。子ども同様に悩みながら手探りで正解を探しています。子どもの反抗期に対処する方法など教わる機会もほとんどありません。そんな状況だから、暴力へ逃げるか教師へ丸投げするかの二択に絞られてしまう。このような悪循環が子どもの人権を侵害する校則を野放しにしているように思います。

 

 同書では以下のような厳しい指摘もされています。

 

【「厳し過ぎ、細か過ぎる校則」を一面で支えているのは、わが子の教育についての責任を、人間形成的な側面までも含めて、全面的に学校に肩代わりを求める父母や、「子ども人質論」にとらわれて、ひたすら学校側に迎合的で事なかれ主義的な父母でもある。在学関係において、子どもの人権主体性を明確にすることは、子どもの人権保障における親の第一義的責任である親の教育権を問うことでもある。】

 

 親の教育権を考える論調を目にする機会はあまり多くありません。義務教育期間だけ我慢してやり過ごせばよいと子どもへ教える世代が過去のものになる日が来ることを望みます。      R.02.11.15