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阪神・淡路大震災の教訓 奪われた時間を考える

 阪神・淡路大震災の発災から今日で28年。この28年間だけでも、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震と、震度7の地震が日本各地で起こっています。それにもかかわらず、地震発生確率の数字に対する感想を言い合う程度の関心しか持たない人も多いのはなぜなのでしょう。

 

 「いつ起こるのかわからないと備えようがない」、「起こるかどうかもわからないものに備える余裕はない」といった意見も聞こえてきます。震災をまるで他人事のように考えていられる幸運な人たち。

 

 28年前の今日、神戸で何が起きたか知っていますか?

 

 阪神・淡路大震災が起きた1995年は「ボランティア元年」ともいわれます。震災直後の1年間で138万人もの人々が被災地でボランティア活動をされたそうです。テレビで流れる想像を絶する光景を目にした多くの人々が、自分も何かしなければという使命感のようなものを感じたからかもしれません。

 

 現在、インターネットを利用すれば当時のニュース映像や、被災された方々のインタビューなどを視聴することが出来ます。もちろん目を背けることも出来ますが、震災の記録は全てではなくとも手を伸ばせばそこにある状況です。

 

 建物の耐震化や災害対策関連法の整備、そして地震研究の進歩など、震災の経験はその後、様々な分野で進む防災の取組みの原動力となっています。日進月歩で進む防災の取組みについて考えると、28年という時間は、それを生きた人の重さではなく、それを生きられなかった人の重さなのではないかと感じます。

 

 地震は必ず起こるもので、その被害は甚大である。だから備える。震災で亡くなられた方々から奪われた時間を思うとき、今しなければならないことが何であるかわかるはずです     R.05.01.17