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盗賊の驕り 為政者の悪 老子の憤り

 【「中国の思想 第6巻 老子・列子」 訳者:奥平卓・大村益夫 発行:徳間書店】

 「民衆の生活に同情を寄せ、目前の政治に激しい憤りを感ずる」老子。コロナ禍の現代に生きる多く市民も同じ気持ちを抱いているはずです。そんな気持ちを代弁する「老子」にある2つの文章をご紹介したいと思います。

 

 五十三章 盗賊の驕り

 朝(ちょう)甚だ除(ととの)えば、田甚だ蕪(あ)れ、倉甚だ虚し。文綵(ぶんさい)を服し、利剣を帯び、飲食に厭(あ)き、財貨余りあり。これを盗夸(とうか)と謂う。非道なるかな。

 

 役所が立派なのは、政治が行き届いている証拠だといわれる。だが真相はまさしく逆で、そんな国にかぎって田畑は荒れはて、人民の米櫃はカラッポだ。にもかかわらず為政者は、美服をまとい、利剣をさげ、食膳には山海の珍味を並べ、私財をせっせと蓄えている。盗賊の驕りとはこのことである。

 

 

 七十五章 為政者の悪

 民の饑(う)うるは、その上の税を食(は)むことの多きをもってなり。ここをもって饑う。民の治め難きは、その上のなすことあるをもってなり。ここをもって治め難し。民の死を軽んずるは、その上の生を求むることの厚きをもってなり。ここをもって死を軽んず。それただ生をもってなすことなき者は、これ生を貴ぶより賢(まさ)る。

 

 人民の生活が苦しいのは、為政者が租税を取りすぎるからだ。これでは、生活できるはずがない。人民が反抗するのは、為政者が強制手段に出るからだ。これでは、服従するはずがない。人民が生命を大切にしないのは、為政者が欲望をそそりたてるからだ。これでは、長生きできるはずがない。人民を愛する政治とは、作為せず自然にまかせる政治のことである。

 

 市民の政治不信を招く醜聞が噴出するコロナ禍の現代。古典を学ぶことが時代を変化させることにつながるかもしれません。      R.03.03.10