【無碍の一道】
ご存知の方も多いでしょうが、「歎異抄」の第7章の冒頭に出てくる言葉であり、妨げるものの無いただ一筋の道という意味です。
迷い、もがき、努力する人にとって、現実の世の中は困難の連続です。努力すれば報われるという通俗道徳がはびこる世の中では、単に運の良し悪しの結果でしかない成功にもっともらしい理由付けをするために自助努力を推奨します。
そのため、ほんの一握りの成功者は自らの努力を誇り、大多数の失敗者は自らの力の無さを責め悩んでしまいます。まるで努力の質と量が計測可能であり、成功者と失敗者との努力の比較が可能であるかのように、家柄が前世の功徳によるものであるかのように。ほんの一握りの成功者によって生み出された悩みは、多くの人々の幸せの妨げになっています。
【自力作善】
当然ながら努力の計測や比較が不可能であるのと同様に、善悪の線引きに明確な基準は存在しません。しかしよりよき世界を求める人間の欲望は確実に存在し、多くの人々は自らの道徳観に基づき、よりよき行いをするように努めてしまいます。悪人正機説の「悪人」とは、このように自助努力による改善が出来ると信じ善行に努める大多数の人々のことです。
【他力本願】
善行に努める大多数の人々が救われない世の中は間違っています。そう、自助努力、善悪の線引きといった権威主義的な道徳観が間違っているのです。平等な世界を目指し、権威主義の温床となる自助努力を否定する価値観の大転換を目指したものが、他力本願だと思います。「歎異抄」とは、腐った権力に抵抗し続けた親鸞の真意がいつの間にか権力にとって都合の良い方向へすり替えられる(異なる)ことを歎(嘆)いた弟子の唯円が、親鸞の真意を示すために教えの要点をまとめた書です。
混迷を深めるコロナ禍の現在と、親鸞が生きた時代は似ているのかもしれません。自力作善から他力本願へ、この価値観の転換によって、無碍の一道が現れるのではないかと考えます。 R.03.01.03