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学ぶことの意味 批判を忘れた現代人に問う政教分離

 科学技術を含む学問は、おそよ批判を通して進歩してきました。進歩することを是としない立場があるとすれば、批判は邪魔なものでしかありません。批判する立場の人を非難することで、自らの立場を守ることに躍起になる人を想像することは、おそらく多くの人々にとってたやすい作業かもしれません。それは、身近な上司であったり、テレビや新聞で見る政治家の言動であったり、自分自身であったり。

 

 世の中には学びがあふれています。ただし学ぶことの意味を理解するためには、批判と非難の意味を知る必要があります。

 

 批判とは、自分自身の意見を持ったうえで、対象の良し悪しや理論的な穴を指摘し、より良い世界を志向する作業です。一方、非難とは、自分自身の意見を絶対視し(意識の有無に関わらず)、対象を悪と決めつけ排除しようとすることです。

 

 定型文のように聞かれる言説に、「野党は批判するばかりで対案がない」といったものがあります。おそらく、これと同様な意味合いの言葉は、政治だけでなく、職場や学校、地域のコミュニティなど様々な場面で頻出しているものと思われます。さて、その言説は権力者側、保守的な立場からのものであり、マイノリティや立場的に弱いものから聞かれることがないことを意識する人はどれだけ存在するのでしょうか。

 

 天動説から地動説への変遷に見られるように、批判は非難にさらされ続けてきました。真実よりも大切なものがあると言わんばかりの大衆に支えられながら…。

 

 現行の階層、体制を確実に存続させるために必要なことは、学ぶことではなく信じることです。そこで考えたいことは政教分離です。なぜ政治と宗教は結び付いてはいけないのか?権力と信仰は親和性が高く、その効果は絶大です、進歩を排除したい体制にとっては。つまり日本国憲法第20条は、人類の進歩を止めないことの宣言でもあるのです。以下、日本国憲法第20条の条文を引用します。

 

 第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 

 批判と非難を峻別し、それぞれの言説の立場を見極めると、学ぶことの意味が理解できます。学んできたと信じたい人は意外と多いかもしれませんが…。新しい年が学びにあふれることを祈ります。     R.05.01.11