ロシアの侵略戦争が続く中で迎える今年の憲法記念日は、日本国憲法の平和主義の尊さを深く考える良い機会だと思います。そのためにはまず憲法前文を理解することが大切です。
前文
【日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。】
ロシアの暴挙を切り取り、有事に役に立たない理想主義と危機感を煽る輩がいますが、日本国憲法は敗戦直後に作られたものであり、平時に作られたものではありません。施行75年を経た現在、この点を誤解する人達が少なからず存在することは仕方のないことかもしれません。平和ぼけとはこのことをいうのではないでしょうか。
戦後間もない悲惨な状況を体験し知る人々がいなくなったとしても、様々な研究や書籍を通じて当時の様子を想像することは出来るはずです。憲法学者の樋口陽一さんの著書『「六訂 憲法入門」 発行:株式会社勁草書房』に、日本国憲法施行後に文部省が著した教科書にある文面が引用されています。そこには当時の人々の戦争にたいする共通認識が表現されています。
【・・・・・いまやっと戦争がおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。・・・・・そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。(文部省著作『あたらしい憲法のはなし』一九四七 - 原文は旧字体)】
「おそろしい、かなしいこと」が身に染みて理解されていた時代と、日本国憲法のおかげで戦争から遠ざかった現在では戦争にたいするイメージは全く違います。それは、憲法前文の解釈にも大きな影響を与えているように思います。それは危機感を煽る改憲論などにおいて「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすること」が「正しいこと」であるという認識が薄れてきたように感じるからです。
司馬遼太郎さんは、その著書『「明治」という国家 発行:日本放送出版協会』のなかで日本国憲法の前にあった大日本帝国憲法(通称・明治憲法)についてこう述べています。
【・・・・まことに、この点、明治憲法は、あぶなさをもった憲法でした。それでも、明治時代いっぱいは、すこしも危なげなかったのは、まだ明治国家をつくったひとびとが生きていて、亀裂しそうなこの箇所を肉体と精神でふさいでいたからです。この憲法をつくった伊藤博文たちも、まさか三代目の昭和前期(一九二六年以後四五年まで)になってから、この箇所に大穴があき、ついには憲法の”不備”によって国がほろびるとは思いもしていなかったでしょう。】
司馬遼太郎さんが指摘する「この箇所」というのは、立法、行政、司法の三権から独立した「統帥権(軍隊を動かす権)」のことです。外からの侵略よりむしろ内側からの暴走が止められないことこそ戦力保持の危うさです。この統帥権と併せて明治憲法の特徴である「輔弼」について、丸山真男さんがその著書『「日本の思想」 発行:株式会社岩波書店』のなかで以下のような指摘をしています。
【「輔弼」とはつまるところ、統治の唯一の正当性の源泉である天皇の意志を推しはかると同時に天皇への助言を通じてその意志に具体的内容を与えることにほかならない。さきにのべた無限責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している。】
明治維新という反体制的な革命で、日本でははじめて国家という概念が生まれました。そしてつかの間の自由と平和。先日のNHKのテレビ番組「日曜美術館」で取り上げられていた日本画家鏑木清方さんも明治時代への郷愁を抱いていたようです。平和を失うことを知る人と平和を失おうとすることに気付かない人。国家という権力機構の持つ二面性は、国家に同意を与える国民の二面性でもあるように思います。
人類学者の松村圭一郎さんは、その著書『「くらしのアナキズム」 発行:株式会社ミシマ社』において、以下のように述べられています。
【ホッブスは、戦争状態を抑止し、危機に対応するためにこそ、主権国家が必要だと説いた。だが歴史的にみれば、国家は人民を守る仕組みではなかった。人びとから労働力と余剰生産物を搾りとり、戦争や疫病といった災厄をもたらす。国家はむしろ平和な暮らしを脅かす存在だったのだ。】
また同著でアメリカの政治学者であり人類学者でもあるジェームズ・C・スコットさんの『実践 日々のアナキズム』にある言葉を紹介しています。
【・・・このように進んで法を破る彼らの気持ちに内在したのは、無秩序と混乱の種を播き散らしたいという欲求ではなく、むしろより公正な法的秩序を創出しようとする強い衝動だった。現在の法治主義が、かつてよりも寛容で、解放的であるというのであれば、私たちはその恩恵を過去の法律違反者たちに負っている。】
既存の体制に異を唱えた明治維新もアナキズムの精神だったと言えるのかもしれません。ちなみに同著においてアナキズムについてアメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーさんの表現を引用されています。
【『古い社会の殻の内側で』新しい社会の諸制度を創造しはじめるという『企画(プロジェクト)』である】
法律違反者によって成し遂げられた自由と平和を謳歌した明治時代。しかし時を経るとかつての反体制派が保守派にまわり、当初の動機を失いその権力維持を目的とするようになってしまうのは世の常なのでしょうか。再度、司馬遼太郎さんの『「明治」という国家』から引用します。
【ありもしない絶対を、論理と修辞でもって、糸巻きのようにグルグル巻きにしたものがイデオロギー、つまり”正義の体系”というものです。イデオロギーは、それが過ぎ去ると、古新聞よりも無価値になります。・・・・・昭和元年から同二十年までは、その二つの正義体系がせめぎあい、一方が勝ち、勝ったほうは負けたほうの遺伝子までとり入れ、武力と警察力、それに宣伝力で幕末の人や明治人がつくった国家をこなごなにつぶしました。】
国破れて山河在りとなった戦後の日本。明治憲法から進化した日本国憲法は、明治維新によって一度は手に入れた自由と平和を失うことを知った人々の手で生み出されたのです。つまりアナキズムによって生まれた明治国家が平和主義の礎とも言えるのです。そして現在の私たちが少なからず自由と平和を得られているのは、その恩恵を過去の法律違反者たちに負っているからであり、その平和主義を理想主義と揶揄し排除することは、幕末の人や明治人がつくった国家をこなごなにつぶすことと同義ではないかと思います。
さて2022年の現在の日本では、コロナ禍ではじめて行動制限のないゴールデンウイークを迎えています。多くの人々がいままでのうっ憤を晴らすかのように賑わう観光地。その一方で避難生活を余儀なくされるウクライナの人々がいる現実。もし連休で自由と平和の尊さを実感したのであれば、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とする日本国憲法が平和主義に貫かれるようになった経緯を考える憲法記念日にしてみてはいかがでしょうか。 R.04.05.02