「男女を論ずること勿れ、此れ仏道極妙の法則なり」(「礼拝得髄」Ⅱ169)。
「日本国ニヒトツノワラヒゴトアリ。イハユル或ハ結界ノ地ト称ジ、アルイハ大乗ノ道場ト称ジテ、比丘尼・女人等ヲ来入セシメズ。邪風ヒサシクツタハレテ、人ワキマフルコトナシ。稽古ノ人アラタメズ、博達ノ士モカンガフルコトナシ」(「礼拝得髄」Ⅱ177、この箇所は、永平寺に伝わる二十八巻の『秘密正法眼蔵』に伝わるものですが、七十五巻本『正法眼蔵』の編集に際しては削除されたものです)。
【以上、『道元禅師のことば「修証義」入門』 著者:有福孝岳 発行:株式会社法蔵館 より】
十三世紀の日本において女人禁制を「ワラヒゴト」と喝破した道元に、今の日本の状況はどのように映ることでしょう。イギリスの経済紙「エコノミスト」が国際女性デーを前に7日に発表した女性の働きやすさランキングで、日本は主要29か国中28位と下から2番目の評価となったそうです。
今から47年前の1975年(昭和50年)に発行された【「ひとり暮しの戦後史ー戦中世代の婦人たち―」 著者:塩沢美代子、島田とみ子 発行:株式会社岩波書店】では、戦争によって運命を変えられた女性の声と共に、「日本の社会がいかに女性の自立した生きかたを阻んだり拒んだりしてきたか」という事実を明らかにしています。
当時は女性の定年を30代や40代と定めた就業規則がまかり通り、更に女性の賃金体系は「若年短期雇用型もしくは家計補助型」で、「ひとりの人間がそれによって生きていくという前提に立っていない」時代だったようです。それから約半世紀程度の時間は、男女平等はおろか少子化を加速させる生きづらい時代へと日本社会を変貌させてしまいました。
「ひとり暮しの戦後史」の中に、当時50才のKさんの戦時中から終戦直後の心境の変化が記されています。
「あの不気味な空襲警報のサイレンのうなりをきくたびに、「今度こそ、即死を」と祈りつづけた。」「こんな日々のなかで、八月十五日の敗戦の放送をきいたときは、「生き残ったんだ。私は生きているんだ」という、生物としての本能的な喜び以外の何物も感じなかったという。占領というまったく未知の状況に対する不安など、”生きていられる”という事実の前には、ものの数ではなかったらしい。」
侵略戦争というロシアの愚行に乗じて、平和と不戦の誓いを無視する論調が散見されます。戦争になれば民衆を盾に偉い人ほどすぐ逃げるのは、いつの時代も同じかもしれません。男女差別や権威付けなどによって安全地帯を創り出すのは富や権力を手に入れた凡夫達の得意とするところですから。
コロナ禍に疲弊する世界にさらに暗い影を落とすウクライナ情勢。「男女を論ずること勿れ」と説いた道元は、くだらない権力闘争を引き起こす人間の本性を見抜いていたのでしょう。ジェンダー平等の実現は平和と不戦の誓いにもつながると信じます。 R.04.03.08