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新自由主義からの脱却 コロナ禍を経た社会の視点

 新自由主義を支えたトリクルダウン仮説。富める者が増えると、そこから滴り落ちる富が広く行き渡ると考え、利益至上主義を肯定した仮説。弊社ブログ記事、「バイデン大統領の決意 施政方針演説の衝撃」などで批判してきましたが、今回は新自由主義について考えたいと思います。

 

 最近、自民党総裁選の候補者からも度々聞かれる新自由主義ですが、国家の介入を減らし市場にまかせるこの経済思想がコロナ禍を引き起こしたと言っても過言ではないと考えます。

 

 本来は市場に任せていては成り立たない分野を国家が担うべきなのですが、規制緩和や民営化、そして公務員削減を日本は進めてきました。その結果として、コロナの感染拡大によって保健所がパンクし、PCR検査を抑制する限定的な対策にせざるを得なくなり、パンデミックを防ぐことが出来ず、緊急事態宣言を繰り返す始末。

 

 またパンデミックによる経済へのダメージは、非正規雇用をはじめとした低賃金労働者を窮地に追い込みました。簡単に首切りされる雇用契約や生活が成り立たない賃金で労働者を雇用することを可能にした労働者派遣法や労働組合の衰退は、まさに新自由主義の要請によるものです。

 

 市場の論理を信じる新自由主義の源流であるアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンは、労働者は働きたいときに適切な賃金で働くことができ、雇用する側も必要な時に必要な分だけ労働力を確保できる労働市場を思い描いていました。

 

 しかし日本では、国鉄解体をきっかけに労働者を守る組織である労働組合が弱体化し、雇用する側の利点のみすくい上げる労働者派遣法が成立、ついには歪んだ労働市場が完成しました。フリードマンが生きていたら、ケインズが指摘していた非自発的失業が蔓延するこの状況を見て何と答えるでしょう?

 

 水道などのライフラインや医療、そして大学の独立行政法人化など、様々な場面で新自由主義はその市場の論理を押し付けてきます。小泉純一郎氏は民間にできることは民間にと言って、郵政民営化を押し通しました。古くは中曽根康弘氏が国鉄を民営化した時代から脈々と続く新自由主義は、財政赤字という概念を持ち出し、大きな政府から小さな政府へ舵を切ることが正しい道だと喧伝します。

 

 そして福祉は削られ子どもの貧困が可視化される一方で、赤字国債を発行してまでも莫大な資金が株式市場に投入され富裕層が潤う日本。このような本来社会が守らなければならない立場の人々を自助や自己責任と切り捨て、公的扶助の必要のない恵まれた環境の人々を支える倒錯した社会は、新自由主義によって生み出されたものなのです。

 

 コロナ禍は新自由主義というイデオロギーの欠陥をあぶりだしました。これからどん底の経済から日本が這い上がるためには、強欲の免罪符となる新自由主義からの脱却が欠かせないものだと考えます。      R.03.09.19