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寡占化市場による弊害 独善的な企業倫理

 皆さんは八百屋さんで野菜を買うことはありますか。スーパーで買い物をすませることが当たり前になっていますが、八百屋さんで買い物をすると価格が安いだけでなく品質も高いことにびっくりします。なぜ安くて品質が良いのでしょうか。

 

 まず大手スーパーを考えると、従業員やテナント料、広告費や光熱費など様々なコストが発生します。さらに企業の成長に必要となる利益も確保しなければなりません。だから人件費を抑えるために非正規雇用労働者の割合を高くし、価格も高くしなければ儲けはでません。つまり従業員や顧客に費用を負担させてはじめて成り立つ商売です。

 

 一方、八百屋さんは基本的に個人商店です。規模も小さいので、様々なコストや利益が相対的に小さくすみます。つまりそこそこ儲けが出れば良いとなるので、品質の高い野菜を安く提供できるのです。自由競争の原理が働く市場ならば、高コスト体質の大企業が低コスト体質の中小零細企業に勝てる見込みはありません。しかし現実は違います。

 

 核家族化と共働き世帯の増加を背景に、買い物などの家事に割ける時間が少なった顧客のニーズは、野菜だけでなく肉や日用品などなんでも揃うスーパーを、さらに大規模な複合型商業施設を選択するようになりました。数十円、数百円程度の違いよりも利便性を優先する顧客の増加は、中小零細企業である八百屋さんを廃業に追い込んでしまいます。すると市場の寡占化が進み、大企業が価格決定権を握ります。

 

 大企業が利益を確保できるのは、価格を自由に決定することができる市場の寡占化があるからです。それを逆説的に大企業の高い利益率や生産性などと御託を並べるのは、市場原理主義者の悪い癖です。さらに市場の寡占化は、非正規雇用による人件費の不当な削減をも許す結果を招いています。つまり現代の社会問題の大半は、独善的な企業倫理から生じるものと言えるのではないでしょうか。

 

 郊外の広大な土地を開発し、都市の景観を損ねる無機質な建物を建てる大企業による環境破壊は日本全国で広がっています。しかも、利潤を追求する大企業は、市場の縮小がみられると躊躇なく撤退し、後には巨大な廃墟だけが残されます。このような事例は近年全国の地方都市で問題となっています。

 

 利便性を追求したつもりの消費者が不利益を被ることになることは、大企業と中小零細企業の体質の違いを見れば、はじめから一目瞭然だったはずです。小さな八百屋さんの存在は、その都市の健全性のバロメーターだと思います。      R.02.07.12