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あきらめという名の責任転嫁 選挙に行かない大人たち

 先日行われた東京都知事選挙の投票率が前回よりも下がったそうです。コロナ禍で外出を控える方がいたのかもしれません。しかし、選挙のたびに聞かれる「どうせ投票したって何も変わらない」というあきらめの声も多かったのではないでしょうか。

 

 日本国憲法第15条第1項

【公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。】

 

 コロナ禍により政治の質があらためて問われるようになりました。人類が初めて直面する危機に対する政治家の姿勢は、永く国民の記憶に刻まれれることでしょう。責任の所在をあいまいにする政治家の言動は多くの国民の怒りを買いました。しかし、その政治家を選んだのは国民であり、その政治家の日頃の言動をスルーしてきたのも国民です。

 

 「難しい話はわからないからお任せで」と言って普段はほったらかしにしておきながら、いざ危機となったら全て政治家に責任をなすりつける国民性は、まだまだ成長過程の幼い子どものようです。その責任転嫁の最たるものが投票する権利を放棄する行為、選挙に行かない大人たちです。

 

 先月のブログ【パレーシアとグレタ・トゥーンベリ 近代国民の心構え】で、意思表示をしない日本人に全体主義につながる素地が熟成されつつあると訴えました。従順な羊を増やすには、あきらめを蔓延させるのが効果的です。その意味で、今回の都知事選の投票率低下は従順な羊を増やすことに成功したと言えるのかもしれません。

 

 日本の憲法学の第一人者である樋口陽一さんは、その著書【「六訂 憲法入門」 発行:株式会社勁草書房】で、選挙権と表現の自由の密接な関係について指摘しています。表現の自由に暗い影を落とす全体主義的思想。このような構図を今回の都知事選に見るのは悲観的過ぎる見方でしょうか。      R.02.07.12