143年前の1878年(明治11年)11月28日、「天災は忘れた頃に来る」という言葉の生みの親でもある物理学者寺田寅彦は生まれました。その寺田寅彦が著した「天災と国防」というタイトルの随筆が今回のブログのテーマです。
先日、岸田首相が「敵基地攻撃能力」の保有も検討するとの報道がありました。北朝鮮や中国の動向を念頭にした国防の必要性を示したもののようです。コロナ禍でも日本の防衛予算は増え続けており、先日閣議決定された2021年度補正予算案と当初予算の歳出額と合わせて6兆円を超えたそうです。
一方、防災に関する予算ですが、内閣府の防災白書によれば平成7年の7.5兆円をピークに令和2年度の3.8兆円にまで減少しています。
寺田寅彦は「天災と国防」の中で、以下のように述べています。
「国家の安全を脅かす敵国に対する国防策は現に政府当局の間で熱心に研究されているであろうが、ほとんど同じように一国の運命に影響する可能性の豊富な大天災に対する国防策は政府のどこで誰が研究し如何なる施設を準備しているか甚だ心元(こころもと)ない有様である。」
昭和9年に発表されたものですが、87年後の戦禍を経た日本においても同じような状況が繰り返されているとは、寺田寅彦も想像すらしなかったのではないでしょうか。
また寺田寅彦は自然災害について随筆「津浪と人間」の中で、以下のように述べています。
「しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。」
戦争は起きるものではなく起こすものです。人の心に住み着く疑心暗鬼の仕業です。天災もそうであれば防ぎようがありますが、残念ながら人の心とは関係なく必ず起きるものです。
新型コロナウイルスによるパンデミックは、まだまだ終わりの見えない地球規模の大災害です。さらに追い打ちをかけるように、日本では大地震が必ず発生します。そんな日本にとって敵基地攻撃能力よりも必要な自然災害から国民を守る能力が不足している状況はとても心許ない有様です。
国が戦争という愚かな行為に向けひた走る時代に生きた寺田寅彦の言葉の数々。命と経済を対立させるような論調が生まれる不穏な空気が充満する時代に生きる私たちが、今このタイミングで読み直すことはとても大切なことだと思います。 R.03.11.28