日本国憲法第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあります。最低限度の生活を営む上で住まいの確保は必要不可欠です。国民には住まう権利があり、住まいが提供されない状態は憲法違反となります。ホームレス問題は違憲状態の黙認です。しかし「自己責任論」という偏見が、ホームレス問題を個人の責任論へと問題を矮小化してしまい、問題の背後にある社会システムの重大な瑕疵に蓋をしてしまっています。
交通事故、病気やケガなどにより健康を奪われてしまうリスク、家庭を築いても、離婚や死別などで一人になるリスク、異常気象や地震などの災害によって、ある日突然家や家族を失うリスク。そして誰にでも等しく訪れる老化。リストラや非正規雇用。拡大する格差社会。これらは「自己責任論」で片付けられない問題であることは火を見るよりも明らかです。
現在の日本では住まいを確保するために賃貸住宅を借りようとすれば、保証会社の審査や連帯保証人や緊急連絡先、そしてまとまったお金が必要です。家族や仕事や健康を奪われた人、さらに高齢者に、高い壁が立ちはだかっているのが現実です。民間ではなく市営や県営住宅があると言われるかもしれませんが、年々減少する公営住宅は需要に対して供給が圧倒的に少なく、入居抽選で当たる確率は低く、狭き門となっています。
住まいが人権として扱われていない日本の現状は、住宅政策が福祉政策ではなく経済政策として扱われてきたことに由来します。現在の住宅政策を管轄するのは国土交通省、以前は建設省、その前身は戦災復興院であることが示すように、国の経済発展の流れに住まいは翻弄されてきたのです。縦割り行政により住宅政策から福祉的観点が切り離されてしまい、経済発展の陰で住まう権利がないがしろにされて、「自己責任論」で切り捨てられる人々が存在するのが現在の日本の姿です。
日本が日本国憲法の理念を実践する福祉国家としての道を歩むためには、住まいは人権であるとの認識を人々に広めなくてはいけません。住まいを確保するのに困っている人がいるという現実を知り、それは人権侵害だとの認識が広まれば、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がすべての人々に保障される世の中になっていくと思います。居住支援の取り組みは人権を守ることにつながります。
先日、宅建協会下関支部の一員として居住支援の先進事例地視察として大牟田市役所へお邪魔させて頂きました。大牟田市の居住支援の取り組みの現状をお伺いし、ご担当の方々の知見と行動力、そして志の高さに感銘を受け身が引き締まる思いがしました。多忙を極める日常業務の中、貴重な時間を割いて資料の準備や質疑応答など快く対応をして頂き、あらためて感謝申し上げます。
生活の基盤となる住まいに直結する仕事を担うのが我々不動産屋です。宅建協会下関支部でも、下関市で居住支援協議会を立ち上げようとする動きが進んでいます。当然ながら我々不動産屋だけでは、成り立たない取り組みです。様々な分野のスペシャリストとの連携を図りながら、下関市にも居住支援の輪を広げていきたいと思います。 R.01.10.03