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現象学とデザイン Dasien ≒ Design

 Dasein:ドイツ語で「ダーザイン」と発音し、「存在」、「現存在」と訳されます。

 Design:英語で「デザイン」と発音し、「設計」、「意匠」、「計画」等と訳されます。

 

 門脇俊介さんの著書「『存在と時間』の哲学Ⅰ 発行:産業図書株式会社」と仲正昌樹さんの著書「ハイデガー哲学入門 ー 『存在と時間』を読む 発行:株式会社講談社」を読んでいると、「自分らしさ」を表現する衣服などのファッションや身の回りにある道具への人々の関心若しくは無関心が、その人の生き方、人生と密接な関係である事に気付かされました。

 

 人は自分自身の存在について常に考えています。門脇俊介さんの著書では【現存在の前理論的な存在了解には、体系的に理論化されている必要のない「自己解釈」が含まれる】という【現存在の存在了解のある構造】を理解するために以下のような例を示しています。

 

 【ある特定の文化Cのなかで育てられ、Cに適合した形で人生を送っている女性Wの例である。文化Cは、西洋的な近代化をくぐってきてはいるが、女性の役割に関しては保守的な部分を残しており、社会で主導権を握っている男性の役割を肯定し、もっぱら女性に子どもの養育者としての義務を課しているような社会である。】

 

 【女性Wの日常的な存在了解のなかには、「子どもの養育者であり男性より劣ったもの」という可能性が含まれているだろう。 ・・・・・ Wは無能な男性が彼女より高い社会的地位にいても気にしないし、そもそもそのような比較をすることすらしないかもしれない。こうした自己についての存在了解は、語られたり意識されない仕方で、日常のふるまいのなかに浸透しそれを導く。】

 

 Wの日常のふるまいは、文化Cにおける女性らしい服装や行動にあらわれ、さらにその事を受け入れていることで、Wの好みや思想を形成していきます。そして日常の身の回りにある道具。ハイデガーは「道具的存在者」と名づけていますが、さらに門脇さんが示すWの行動をみてみます。

 

 【文化Cを生きるWが職場で働いているときのことを、想像しよう。彼女は、文化Cにおける女性社員の標準的な生き方に従って、「男性社員にタイミング良くお茶を出す」という行為をするかもしれない。その行為は、「子どもの養育者であり男性より劣ったもの」という、彼女が受け入れている自己の存在可能性の了解に方向づけられている。】

 

 【道具的存在者は、現存在の交渉し参与する存在様式に対してのみ現出するものであり、適所性もまた、現存在の参与の可能性に関してのみ適切さを与える・・・・・】

 

 【Wはお盆を持つという行為において道具と出会うわけであるが、そのさい、お盆の適所性と自己の可能性とを同時に、了解している。】

 

 【女性Wが文化Cの世界に住み込むことは、自らの可能性と環境の配置とのあいだに成立する、かならずしも明示化されていない連関を、そのつどのふるまいにおいてたえず活性化することができる技能を備えていることである。】

 

 Wは無意識であるかもしれませんが、ものの存在が人の存在を方向づけることとなっているようなのです。そのように考え、身の回りの道具を見直してみると、道具そのものへの見方や価値観が変わるような気がします。【日常のふるまいのなかに浸透しそれを導く】という言葉の意味がとても重く感じます。

 

 

 

 仲正昌樹さんはその著書のなかで、「Dasein」という言葉についてを次のように述べています。

 

【〈Dasein〉は、「存在する」こと一般ではなく、ある特定の時間と場所に存在することを意味する言葉だと言える。

 ハイデガーはこの〈Dasein〉を、「存在への問いを問う存在者」としての「私たち」という意味で使うことにすると宣言する。】

 

 さらに「実存Existenz」という言葉について、次のように説明されています。

 

【私たちは自分の意識(Bewußtsein) - ドイツ語の〈Bewußtsein〉は綴りを見れば分かるように、〈Sein(存在)〉を含んでいる - を変えることで、自分の在り方(存在)も変化させることができる。具体的に、”私の在り方”を変えようとしなくても、”私が(○○として)存在していること”を意識した時点で、”私の在り方”に何らかの影響を与える。それが、私にとっての「実存」である。】

 

 そして「現存在」と「実存」についてこう述べています。

 

【「私は、他人の評判など気にしない人間だ!」と決めて、そうであろうとしても、実際にそうなっているとは限らない。「実存」とは、自己の「可能性」の中から「現存在」自身が選び取り、(主体的に)実現しようとする、「存在」の特殊な様式であり、自分のものでありながら、全面的に自分の思い通りに想像・創造できるわけではない。「実存」は、主観と客観のいずれにも還元できない「可能性」を中心とする在り方なのである。】

 

 

 

 人は自分らしく生きたいと考え、好きな服や住まいを選びます。それは、自分がどういう人間であるのかを意識的であれ無意識であれ表現することになります。オシャレでありたいと考えている人でも、まったくオシャレには無関心だという人でも、モノを通じて表出されるその「ひととなり」はその人そのものなのです。

 

 

 ドイツ語の「Dasein」と英語の「Design」に関係性があるのかはわかりませんが、門脇さんと仲正さんのハイデガーの「存在と時間」に関する本を読んでいると、綴りや発音が似ているようにその意味するところも似ているように感じてきました。

 

 

 自分探しであったり、アイデンティティの喪失であったり、人は自分が何者であるのか、もしくはどういった人生を歩んでゆけばよいのか悩むものです。文化Cに生きる女性Wの例のように、文化的枠組みに大きく左右される部分もあります。住まいで例えると、キッチンの天板の高さなど女性が使用することを前提とした規格で統一されていたり、間取りを決める際、夫は妻の好きなようにしてほしい、自分は書斎さえあればよいといった会話がなされたり…。

 

 

 しかし無意識に選択される存在了解は、身の回りにある道具で補完されているのであれば、身の回りにある道具を変えることが、存在了解を変えることにつながります。そのように計画し設計された意匠は、実存となり、現存在を形づくることになります。

 

 デザインが人生を変える。選択的な可能性でしかないのかもしれませんが、自分らしく生きたいと考える人に選ばれる住まいを提案できるようになりたいと思います。     R.04.05.04