「菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと発願(ほつがん)しいとなむなり。そのかたちいやしといふとも、この心をおこせば、すでに一切衆生の導師なり。」
「みづからはつひにほとけにならず、たゞし衆生をわたし、衆生を利益(りやく)するもあり。菩薩の偉楽(いぎょう)にしたがふ。おほよそ菩提心は、いかゞして一切衆生をして菩提心をおこさしめ、仏道に引導せましと、ひまなく三業(さんごう)にいとむなり。いたづらに世間の欲楽(よくらく)をあたふるを、利益衆生(しゅじょう)とするにはあらず。この発心、この修証、はるかに迷悟の辺表(へんぴょう)を超越(ちょうおつ)せり。三界に勝出し、一句に抜群(ばつぐん)せり。なほ声聞(しょうもん)、辟支仏(びゃくしぶつ)のおよぶところにあらず。」
【『正法眼蔵』「発菩提心」】【『正法眼蔵』の心 著者:有福孝岳 発行:日本放送出版協会】
経営に関する自己啓発本には、「まず自らの利益を得ること」に対する免罪符のような言葉がよく出てきますが、この「まず自らの利益を得ること」が、下請け叩きや偽装などの犯罪行為を正当化する根拠となっているように感じます。偽りの導師が説く利益至上主義には辟易しますが、残念ながら世の中は権力が正義とみなされる傾向があります。
われ先にと値上げラッシュが続くコロナ禍に疲弊する世界経済。日本でも燃料や野菜などの日常生活に欠かせないものから中古車や住宅設備などまで値上げが止まりません。「まず自らの利益を得ること」を信条とする企業ばかりの世の中。自未得度先度他は現実を見ない単なる理想主義に過ぎないのでしょうか。
例えば先物取引を考えてください。リスクヘッジとして機能する先物取引は原材料などの高騰の一因となっています。リスクを回避する人がいるという事は、リスクを受容する人がいて成り立ちます。二者が互いに対等な立場であれば、リスクを回避するコストとリスクを受容するメリットはプラスマイナスゼロとなり、そもそも先物取引は不要です。しかし現実は「まず自らの利益を得ること」を考える人が利益を得て、そのツケを取引当事者ではない第三者に払わせることで成り立っているのです。
様々な現実を見れば見るほど、自未得度先度他は今の世の中に必要な概念だと思います。理想主義とけなすことが強欲な人々を野放ししてしまうことにつながる。はたして現実を見るという事は諦めるという事なのでしょうか。
考えるという事はとても大切な事です。詰め込み教育の先進国である日本では道徳観すら詰め込み、子どもたちに考えることを諦めさせてきました。詰め込み教育に耐えられる者がエリートとなり、疑問を抱く者が落ちこぼれとみなされる哲学後進国の日本の現実。もしかすると、現実を見れば見るほど諦めたくなる世界かもしれません。
道元禅師の教えは利益至上主義の世の中には不都合なものに映ることでしょう。しかし、その考えが脈々と受け継がれてきたという事実は、利益至上主義にくみすることを良しとしない人々が存在し続けてきた証だと思います。
考えるという事は悩む事です。悩み多き人は常に考えている人です。フランスの哲学者パスカルは、「人間は考える葦である」と言いました。考えるという事は人間の弱みでもあり強みでもあると思います。そして、悩み苦しむこころが菩提心なのかもしれないと感じます。 R.04.02.23