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自動運転の課題から浮き彫りになったクルマを運転するリスク

 日本学術会議の2つの提言【自動運転のあるべき将来に向けて -学術界から見た現状理解ー 2017年6月27日】、【自動運転の社会的課題について -新たなモビリティによる社会のデザインー 2020年8月4日】を参考に、交通事故がなくならない理由を考えたいと思います。

 

 不動産業という仕事柄、国土交通省のHPを頻繁にチェックするのですが、プレスリリース欄に掲載される自動車のリコール情報を目にすることが度々あります。また消費者庁にはリコール情報サイトがあるのですが、そこには様々な工業製品に関する注意喚起情報が日々更新され続けています。そこから完璧な製品は存在しないという現実を読み取ることが出来るように感じます。

 

 交通事故被害者をはじめとし、最近ではロックダウンが環境改善につながった事例報告からもわかるように多くの犠牲の上に成り立つ自動車産業。また自動車産業に限らず環境を無視した急速な工業化は、数々の公害を引き起こし人間の命を奪いながら、莫大な富を生み出してきました。ヒトの命と経済とのトレードオフを躊躇なく実行してきた現代社会。現在のコロナ禍において、人の命か経済かなどと議論される機会がある事の方が珍しいのではないかと思います。

 

 今月初めの弊社ブログ記事「通学路の安全対策 人優先の道路整備」で、SDGs(持続可能な開発のための目標)のひとつについて触れました。SDGsには大きく17の目標があり、その目標ごとに具体的なターゲットが決められています。目標3「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」に関するターゲットのひとつに「2020年までに、世界の道路交通事故による死傷者を半減させる。」があります。SDGsでは交通事故により人々の健康的な生活や福祉が阻害されていると言っているのです。

 

 SDGsとは「包括的、遠大かつ人間中心な一連の普遍的かつ変革的な目標とターゲット」です。そして「経済、社会及び環境というその三つの側面において、バランスが取れ統合された形で達成すること」を約束したものです。地球規模の様々な問題の原因は社会や環境をないがしろにしてきた経済優先の考え方とみなし、それをあらためる「歴史的な決定」を宣言しているのです。

 

 つまり交通事故がなくならない理由は、人間中心ではなく経済を優先してきた社会的選択にあると考えます。

 

 自動運転の効用に対する期待のなかに交通事故削減がありますが、それと同時に自動運転実現に向けた課題には、歩行者や自転車など多様な交通が共有する道路、万全でない道路交通法規、熟練ドライバーのような認識技術や判断技術などがあげられています。AIの進化は目を見張るものがありますが、こと自動運転の分野に関してはルールやインフラが不完全なために将棋や囲碁の世界のようにはいかないようです。

 

 むしろこのような自動運転実現に向けた課題を改善すれば、そもそも自動運転でなくても交通事故は減るはずです。現状が歩行者だけでなく運転者にとっても、如何に過酷な環境であるかがわかるというもの。さらにインフラや法制度の不備だけでなく、リコールのような工業製品特有の欠陥も受け入れなければならないのです。人間中心とは程遠い世界です。

 

 冒頭にあげた日本学術会議の提言の中から引用したいと思います。

 

【将来社会のグランドデザインにおける自動運転の開発及び社会実装においては、人間中心の設計概念が需要である。… (中略) … そのため国は横断的視点に立って省庁の垣根を超えた基盤的取り組み・法整備をすべきであり、産業界や大学も学際的かつ国際的な取り組みを重視すべきである。】

 

 自動運転の開発に伴い、交通事故を生む様々な課題が解消されることは喜ばしいことだと思います。期せずして人間中心という概念が提起された自動運転。100年に1度のモビリティ革命の時代と言われているそうですが、それは同時に経済優先社会の終焉となるのか。社会的選択は現在を生きる私たちの責任です。     R.02.11.29