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#女はみんなそう 我々が属する文化の病

 今年2月27日付けブログ「蛮行を隠す言葉に抵抗する革命」でもご紹介したレベッカ・ソルニットさんの著書【「説教したがる男たち」 訳者:ハーン小路恭子 発行:株式会社左右社】の一文を引用したいと思います。

 

 【…T・M・ラーマンは書いている。インドの統合失調症患者たちは家を掃除しろという幻聴を聞くことが多く、対して合衆国の患者たちは暴力をふるえという声が聞こえることが多いという。そこには文化がかかわっているのだ。また友人の、狂気と暴力に通じている刑事被告人捜査官はこう言う。「現実との接点をなくしはじめた人間の脳は、何であれ自分が属している文化の病と言えるものに、強迫的、妄想的にしがみつこうとする。」】

 

 はたして現実との接点が希薄になるコロナ禍の影響のせいか、男性の女性に対する不適切な発言が頻出しています。文化の病は、感染に気付きにくい厄介なものです。おそらく、発言者にとっては何気ない一言だったのでしょうが、それを許してしまう空気そのものが文化の病であり、自覚症状の欠落が病気の治癒を難しくしています。

 

 例えば買い物発言の問題点がわからない人には、次のような流れを想像して頂きたいと思います。

 【女性の買い物は時間がかかる→女性が家計を管理し献立をつくる→家事をするのは女性→男は外で稼ぎ女は家を守るという家父長制の名残→男性の経済的優位性「誰の稼ぎで飯が食えていると思っているのか」→女性の経済的自立の難しさ「職業選択の不自由」→日常的なDV被害→子どもへの虐待→暴力の連鎖】

 

 女性が人生において自由意思によって選択できるのはスーパーの買い物程度。非正規雇用の調整で経済的な自立も脅かされ、強化される扶養義務によって生活保護も受けられず、生きることを選択した結果の職業選択。これが、コロナ禍で表出した日本の文化の病であり、問題発言が生まれる背景です。

 

 さらに自粛要請という権力による暴力は、不動産会社の女性従業員に対する強盗殺人未遂事件へとつながってしまいました。問題発言や事件を、個人の問題として矮小化してはいけないと思います。暴力の連鎖が深く静かに浸透している状況は、文化の病なのですから。      R.02.04.27