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エシカル消費とバイトテロ

 「エシカル消費=倫理的消費」、 持続可能な開発目標(SDGs)の12番目「つくる責任 つかう責任」 

 

 最近バイトテロという新しい言葉が気になります。SNSへの投稿が出来ない様にスマホの持込を規制したりアルバイト店員の研修などの対策についての報道がありますが、はたしてアルバイト店員一個人の問題なのでしょうか。背景には、食品ロスや非正規雇用という現代社会の問題点があるように思います。

 

 コンビニエンスストアや飲食店における食品の大量廃棄問題は、実はそれを業務として日々行う人の心をむしばんでいるのではないかと想像します。賞味期限切れの食品を大切な食料として見るのであれば、捨てるのはもったいないし、なにか捨てずに済む方法はないかと考えるのが普通の感覚だと思います。しかし業務上そんな考えは不要だとされ規則通りに廃棄すれば良いと研修されていたら、その業務を行う人の良心はどうなるでしょう。良心の呵責に耐え兼ね仕事を辞めてしまうかもしれません。しかしほとんどの方は仕事を続けるために、その良心を封印することを選ぶのではないでしょうか。食品を粗末に扱う人のこころの闇は、一個人の問題ではないように感じます。

 

 バイトテロの報道によってあらためて注目されたのが、コンビニや飲食業界の高い非正規雇用比率です。派遣切りやワーキングプアなどの問題を自己責任論で切り捨てる世の中が、安い賃金で都合の良い労働力として酷使されるアルバイト店員や派遣社員の人々に、お金を貰っているのだから責任感を持てと安い賃金を棚に上げ重い責任を押し付ける構図。間違っていると気付いても、声を上げたらクビになる。そんな不平不満が様々な形として表出する。バイトテロはその表現のひとつのような気がしてなりません。

 

 一連の問題をバイトテロと表現することで、社会問題の矮小化、もしくはすり替えが行われているとしたら、持続可能な開発目標の達成は到底難しいでしょう。今さえ自分さえ良ければと考えるか、次世代を見越して社会を良くしたいと考えるか。安いものには安いなりの理由があり、逆に高いものには高い理由がある。なぜ安いのか、なぜ高いのか、その理由を考え選択して消費することがエシカル消費であり持続可能な開発目標の達成につながることだと思います。消費者には消費をする権利と共にその消費に対する責任があります。     H.31.03.18